スティーヴ・マックィーンにあこがれて。
                         Bike House 店長   西村 克之

             第1部          第2部          第3部          第4部


    バイクにすごーく乗りたくなるときがある。

   広大な草原、山、こういう場面に出会うとバイクで走り回したくなる。

   恵まれた事に、熊本には、大草原、山が数多くある。

   バイク屋をやっていながらバイクに乗りたいなあと思うのも変だけどなかなか自分のイメージした

   感じで乗れることは少ない。

   でも、すごく乗りたいと気持ちをかきたてられる時がある。

   ある映画に出会った時だ。

    映画”大脱走”そう、まさにあのスティーヴ・マックィーンが走り回る姿が頭の中に蘇ってくる。

   「あーマックィーンみたいに走りたい。」

   その気持ちを、ずーと今までの自分を引っ張ってきている。

    10年程前の仕事中に「よおーし、あの大脱走のジャンプをまねして飛んでみよう。」ふと思いついた。

   軽トラにホンダCS92だったと思う。これを積み込み阿蘇の山並みに向かって出発した。

   店にはメグロS8、W1もあった。W1で飛んでみたかったけどキレイにレストアしているし、デカイし、重い。

   いくらなんでも、これじゃ飛べないと思った。 お客にも言われた。

   「このCS92で飛ぶんですかぁ〜、こわるっですよ。」※注 こわる→壊れる

   いや、壊れるのはわかっている。でも、この古いバイクで飛ばなきゃ意味がなかった。

    阿蘇の山、牧草地にバイクを持ち込んだ。

   けっこう場所探しに時間をかけた。

   なかなかあのワンシーンに見合う所が見つからない。

   ”ゆるやかな下り、登ってジャンプ”やっと見つけた!!

   そこは、○○牧場と書いてあった。

   こっそり入った。もし牧場の人に見つかったらすぐに逃げられるようにダッシュで丸太を組み、

   ハリガネで巻き付けて柵を作った。

   洋服も準備して行った。トレーナーの袖を切ったものにチノパンみたいな作業ズボン、靴だけが

   持っていなかったので、スニーカーになってしまった。

    当時は今のようにマックィーンのグッズは売っていなかった。

   革ジャンはマックィーンが着ていたものと似ているのを買って持っていたけれど、この時は着ていなかった。

   ジャンプフォームにもこだわった。

   バイクの空中での角度、ヒジの張り具合、腰のひき方。

   20回くらい飛んだかなぁ。

    2回程こけた。※注 こける→転倒する。

   最後の着地の時にバキッとステップが折れた。(足が折れなくてよかった。)

    振り返れば、マックィーンとの出会いは小学生の頃だった。

   昔話になるけれど。

    小学4年生の時、初めてバイクに乗った。たしか10分程ですぐ乗れるようになった。

   勉強はあまりできなかったけど、こういうのになるとものすごく飲み込みが早かったなぁ〜。

    その頃から私のバイク人生は始まったようだ。

   

                   第2部

    小学生の頃、私の家にはバイクはなかった。

   友達のおやじ、兄キのバイク、カギがあるぞと聞けばどんなに遠くても自転車に乗って

   バイクに乗りに行ってた。

    そういえば、近所の友達のおやじさんのカブ70に二人乗りして、庭から道路に出ようと

   した時に、ブレーキがあまり効かず、止まらなくて木製の門を2枚つきやぶった。

   「なんやこりゃ〜ブレーキのいっちょんきかんぞー。」※注 いっちょんきかん→全然効かない

   と、友達に言った。その時、自分のポリシーでもある。「よく走り、よく止まる」がバイクの

   原点であるとわかった。

   フロントフォークが曲がっていたと思う。ハンドルを切った時、ザザァーっとフェンダーが

   エンジンに当たる音がしてたもんな。

   あのカブ修理したのかなぁ。

    6年生の時にハスラー125にも乗った。

   友達の兄キのだった。カッコよかった。仮面ライダー1号もたしか乗ってた。

   それにその家にもう一台カワサキマッハV500もあった。

   今思えば、金持ちだったんだなぁ、あの家。

    マックィーンをTVで見たのは確か小学6年生の時。小さい頃、戦争映画が好きだったので、

   ねむい目をこすりながら見た「大脱走。」タイトルからして、カッコよかった。

    マックィーンが脱走してドイツ兵からバイクを奪った「すごい」転んでしまったドイツ兵も

   こけるのがうまかった。

    それからバイクにまたがりギヤをガッと入れて走っていくあの後ろ姿、あの道、広がっていた

   山並み、大草原すべてがカッコイイ。これからどうなるんだろう。ねむいはずだった眼は、もう

   全開満開だった。逃げ回るマックィーンはドリフトしたり斜面を上がったり下がったりスゴかった。

   TV画面がわれる位、見入っていた。最後に追い詰められたマックィーンは一気にアクセルターン

   (どうなるんだろう。このまま打たれて死ぬのかなぁ、そんなのいや〜)。

   次の瞬間斜面を下がって行ったと思ったら「大ジャンプ」見事に鉄条網を越えた。

   す、すごい、すごすぎる。全身鳥肌だった。

   バイクでジャンプそれもあんなに飛べるなんて。

   マックィーンはすごい、外人はスゴイと思った。

   結局、銃で撃たれて鉄条網に突っ込んでしまったけどあれがまたカッコイイ

   (今度はあのシーンをまねしようと思ってる。)

   タンクに開いた穴。こぼれるガゾリンを手で触りながら残念がっていたあの表情。たしかバイクで

   逃げてる途中、小屋のうらでタンクキャップを開けガソリン量をチェックするあのしぐさは、

   バイク乗りには、たまらないしぐさだと思う。

   今も、バイクに乗った時、まだたいした距離も走ってないのにキャップを開けてバイクをゆすったりして

   中をのぞいてみたりする。

   そういえば昔、私の兄キがロードパルに乗ってて、夜ガソリンの量を見ようとタンクキャップを

   開けて見えなかったらしく、ライターを近づけて「ボッ。」とガスが燃えて顔面をヤケドした事があった。

   (あはは、バカなやつ。)


                 第3部
   
   大脱走の話に戻るけど、ドイツの練習機を奪って飛んでった2人組の1人、途中で飛行機が落ちて

   ドイツ兵に銃で撃たれて死んだ、コリンというハゲツルのおっちゃんを私は密かに好きだった。

   あのシーンを見るたびに涙が出てしまう。

   マックィーンへのあこがれは延々と続いた。

   マックィーンみたいになるにはオフロード、つまりモトクロスが一番近道だと考えた。

   小さい頃はロードモデルにあまり興味がなかった。バイクの本をよく買った。エルシノアに乗った。

   マックィーンの姿があった。やっぱりオフロードだった。

   近所の普通のバイク屋さんにも必ずポスターがあった。

   自分でももちろん大脱走のポスターを買って部屋に貼った。中学生の頃、先輩のバイクを借りて

   走り回っていた。周りの人から不良と言われていた。

   (あの頃はバイク=不良という風潮だった。)

   自分はただバイクに乗るのが好きなだけだった。

   解体屋に行ってDT125を3000円で買ってきた。

   中学3の時だった。近所の空き地にバイクを隠し、コカコーラのビンを持ってスタンドにガソリンを

   買いに行っては、夜中に家を抜け出し、乗っていた(もちろん無免許!ナンバーも付いてなかった)

   でも自分で買ったんだと思うとなんとなく自慢だった。

   16歳になったらすぐ免許をとった。先輩からGT50を買った。

   運転技術、整備を見に付けるためやっぱりモトクロスを始めた。これで自分もマックィーンになれるぞ〜

   (でも道のりは遠い。)

   モトクロス場に毎週、足を運んだ。マックィーンのように飛べるのを夢見て飛んだ。

   自分のバイクじゃ飛んでも1m、飛び上がっても50cm。こりゃカッコ悪い。

   バイトをして中古のモトクロッサーを買った。20万円。

   RM125I型だった。すごい型おくれのモトクロッサー。ボロだったけど嬉しかった。

   でも、すぐ壊れてしまった。

   そのバイクで九州選手権に出た。もちろんドベ(最下位)だった。

   くやしかった。バイクのせいじゃなかった。運転技術もない。整備もきちんとしていない。

   これじゃまともに走れやしない。レース場までトラックを積んで一緒にきてもらった父親にも

   申し訳なかった。幸いに父親が整備士の資格を持っていたので(昔、でっちの頃、陸王やインディアン

   を直していたらしい)いろんな事について教わる事ができた。

   時間がある時はモトクロス場にもメカニックで付いてきてもらった。その時にはどんなに壊れようと

   調子が悪くなってもなんとか直して走れるようにしてくれた。

   ありきたりのパーツ交換じゃなく、手元にあるパーツ工具で直す事を教えてもらった。

   きちんと整備をしてこそ完全に安全に走れる。

   レースにも集中できる。それは今日の自分の店に生きている。

   より走り、よく止まる。当たり前の事なんだけど(SRをこのようにするのは

   非常にむずかしいんだなあ〜)


                  第4部(完結)

   こういう事があった。

   モトクロスの練習をしていた時に上りのギャップが続くところで突然、自分は前に

   飛んでいった。ハンドルが胸に突き刺さった。目の前が真っ暗で息もできなくて

   苦しかった。  Fタイヤがブラーンとブレーキワイヤーでつながっていた。

   Fタイヤのシャフトが折れていた。やっぱり整備していなかった。

   シャフトが折れるなんて考えもしなかった。せっかくコースまできて整備不良で

   走れないなんてもったいない。

   こんな奴もいた。前日に力いっぱい整備してチェーンまでつけおき洗いして当日

   いざ、コースイン、ギヤを入れても進まない。

   「あれ、おいチェーンのついとらんばい」(チェーンが付いていないよ。)

   それから私はすごーく整備するようになった。

   バイクがこわれて走れなくなる事が少なくなった。コケてバイクを壊すのもイヤだった。

   (それにコケたらいたかもんね)(いたかもんね→痛いからね。)

   ハンドルは曲がるし、レバーは折れる。もちろんきちんと走れない。

   自分に合ったハンドル位置、レバーの角度とかにはすごーくシビアになった。だから

   こけておかしくなるのがいやだった。

   でも、たまにコケるとケガはひどかった。両手首ボキッ!!肋骨ボキッ!!

   最後に頭、コケた時、後続車に轢かれ、背中にモトクロスのタイヤのあと。

   記憶のないまま病院へ。気がついたら病院のベッドの上。

   周りには両親、友達がいて「おー気がついたか」「よかった、よかった」という声。

   その時、今の嫁さんも心配して泣いていた?たぶん。

   その後、ぶち切れたように速くなっていった。

   80ccクラスに転向してレースでは常に入賞するようになった。

   だんだんマックィーンに近づいているようだった。

   マックィーンとの出会いは、私はモトクロス&バイク人生に引き込み(感謝しています・・・)

   バイク屋を始める事になっていった。

   大脱走で走っていたマックィーンのバイクがSRに似ていたのをきっかけにSRに目覚め、

   SRに魅かれSRを追求していくようになり、本当のバイク人生をまっしぐらに進んできた。

   たまに店にいる時ラジオで大脱走マーチが流れる。

   すると私はバイクにまたがり鳥肌を立てながらマックィーンになったような気分で

   ニヤニヤしながら頭の中で映画のワンシーンを思い浮かべ、今度はこのシーンを自分で

   やってみようかとイメージしている。

   「リリーン」店の電話が鳴る。

   「はい。TOO HIPです。」これでまた、いつもの仕事をしている自分に戻る。

   頭のかたすみ、いや真ん中にいつもマックィーンのバイクに乗っている姿がある。

   ウーまたオフに乗りたくなってくる(しまった!!)

                                        完



☆★☆★ おまけ ★☆★☆


  ニューズ出版「STREET BIKERS’」2002年2月号
  P21「BRAIN DRIVE」コーナー 独力の優しさーーー林 美穂

  「えぇ、いつも私ひとりでお店やってるんです(笑)」と、軽やかに笑うのは熊本のTOOHIPパーツショップ
  の林美穂さん(28歳)。バイクハウスTOOHIPのパーツ&用品部門として、熊本市内の若者人気スポッ
  トにほど近いところにある一軒家を改装したお店には、シングル系中心のパーツとストリート系バイカーの
  ためのグッズやTシャツなどが並べられている。
  「21歳からこんな感じでひとりで7〜8年やってきて慣れましたよ(笑)」・・・・・・サービス業を学びホテルウ
  ーマンになった彼女は、義兄のTOOHIP社長・西村さんの勧めでこのショップをまかされた。「お店始め
  たときは何も分からなくて。バイクに乗ってなかったぐらいですから(笑)。でも”アノ人に聞いてもムダだよ、
  きっと””分かってないからね”なんてお客さん同士がささやいている声を聞いてしまったときにかなり
  のショックを受けました。”だったら分かってやろうじゃないの!”てあらゆるバイク雑誌を片っ端から熟読し
  て猛勉強しました。それで今ではパーツやバイクを見ただけで、ナニ用のナニでドー付くかまで答えら
  れるようになっちゃった(笑)」・・・・・・西村さんに勧められて始めたが、このとき林さんが独力で切り盛りす
  るコトをあらためて決意したのだった。「だって、お客さんを前にして違う店にいる兄に聞いてばっかり
  じゃ結局信用されないし、自分自身が悔しいコトに変わりないじゃないですか(笑)」
  こうして始まった独学と独力のショップ経営はいつしか彼女なりの創造性を育んでいき、今ではシング
  ル系バイカーを中心としたミーティング・イベントをひとりで企画し実現するほどの実力まで身につ
  けるほどに・・・・・・「(笑)そんなん、ひとりでできるワケないですよ。たくさんの人が協力してくれるからでき
  るんです」と謙遜する林さんだが、実際のところ内容や進行を考えたり、開催場所など重要な手配は
  彼女が一手に行っている。
  ナゼそこまでやれるのだろう?その原動力は?「ウーン、”お客さん”というヒトが好きなんでしょうね・・・
  ・・・ひとりとか言っても、学生を中心とした若いバイク乗りが毎日来てくれるから、お店の仕事しててさ
  みしいと思ったコトはないんです。やるコトいっぱいになってツライ!と思ったことはいくらでもありますけ
  どね(笑)。あ、ハーイ!・・・・・・」お客さんが訪れると彼女は、”明るさ”と”優しさ”のテンションを反射的
  にチョットだけ上げて活き活きとした瞳に変わる。